【今どうなってる?】新撰組ゆかりの名所5選

      2020/08/26

新撰組と京都
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京都は1200年の歴史を持つ都として数多くの史跡があります。
中でも幕末史に関連する史跡は多く、多くの歴史ファンや観光客が訪れています。
今回は中でも圧倒的な人気を誇る「新撰組ゆかりの名所」をご紹介いたします。

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新撰組

640px-Kondo_Isami02出典:Wikipedia

新撰組は幕末期に京都において反幕府勢力を取り締まるため組織された集団です。
会津藩預かりとして、京都政界において攘夷派志士や勤王派志士を多く取り締まり、「壬生浪」と呼ばれ恐れられました。
現代では小説や映画・ドラマ・漫画・アニメ・ゲームの題材となることも多く、数多くの人に親しまれています。

新撰組ゆかりの寺・壬生寺

壬生寺出典:Wikipedia

新撰組はその前身の「壬生浪士組」時代に、京都壬生村の八木邸・前川邸を屯所としました。
以降西本願寺に屯所を移すまで新撰組の拠点となりました。
壬生寺は新撰組の隊士たちが武芸の訓練を行った寺で、新撰組隊士の墓や、近藤勇の胸像があります。

新撰組の勇名を知らしめた・池田屋

池田屋出典:Wikipedia

尊攘派浪士によるクーデターを事前に察知した新撰組は、浪士たちの立てこもる池田屋を襲撃しました。
「池田屋事件」として有名なこの戦いでは、数多くの浪士を捕縛・殺害し、新撰組の勇名を轟かせました。
現在の池田屋跡は石碑が残るほか、跡地は居酒屋「はなの舞」が開業されています。
お店は池田屋をイメージした作りとなっており、8mの大階段や幹部の名前がついたメニューもあります。

長州軍と対峙・蛤御門

蛤御門出典:Wikipedia

池田屋事件のひと月後、京都に上洛した長州軍は「薩賊会奸」を合い言葉に、御所に進撃しました。
対する薩摩藩・会津藩とともに新撰組は200名の隊士が出陣、激戦が繰り広げられました。
京都市街は火災に見舞われ、多くの住宅や寺社が焼失しました。
長州軍は惨敗し朝敵の汚名を着せられ、幕府による征討を受けることとなります。
現在も蛤御門には当時の弾痕が残っています。

油小路事件の現場・本光寺

油小路の決闘出典:Wikipedia

京都駅からほど近い、堀川七条の本光寺は「油小路事件」の現場として有名です。
ここは伊東甲子太郎・藤堂平助らが新撰組を離脱し結成した「御陵衛士」と呼ばれたグループと新撰組の抗争事件の現場となりました。
現在は「伊東甲子太郎殉難の碑」が残されています。
京都駅からも徒歩圏内なので、ふらっと立ち寄るのにはおすすめです。

二番目の屯所・西本願寺

西本願寺出典:Wikipedia

世界遺産として有名な西本願寺は、新撰組の屯所が置かれた場所でも知られています。
200人を超える隊士を収容できなくなったことにより、壬生屯所から西本願寺内の北集会所と太鼓楼に移りました。
太鼓楼は重要文化財に指定され、現在もその姿を残しています。

まとめ

こちらで紹介した以外にも、新撰組関連・幕末関連の史跡が京都にはたくさんあります。
佐幕派の方も、倒幕派の方も、ぜひ京都の幕末志士の足跡を楽しんでください。

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 - 京都観光, 名所, 歴史