【京都の禅寺】京都五山って何?【今更聞けない】
2020/08/26
京都観光の定番は寺社巡り!!
桜や紅葉を楽しむのはもちろん、お寺の歴史や成り立ちなどを知るのもまた一興。
ところがガイドブックやサイトなどのお寺紹介でよく目にするのは「京都五山の一つに数えられ」などの記述。
「京都五山」とは何か?そして「京都五山の寺院」について、今回はご紹介します。
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京都五山とは
出典:Wikipedia
五山制度は中国の宋時代に、禅寺の寺格を定めた制度。
日本でも鎌倉時代に宋に倣い取り入れられ、鎌倉幕府によって五山が制定されました。
続く室町幕府は禅宗を保護したため、禅宗の普及とともに広まり、五山を制定。
後に室町幕府三代将軍・足利義満の時代に五山制度を改革し、それまで京都と鎌倉の寺院で構成されていた五山を、京都五山と鎌倉五山に分割しました。
このように五山制度はその時代や政治によって大きく変わり、数も必ずしも五つとは限りませんでした。
また、大徳寺や妙心寺はかつては五山に数えられていましたが、足利氏を中心とした政治的背景により五山から外れています。
以下では最終的に五山に列せられた寺院とその位を紹介いたします。
別格・南禅寺
出典:Wikipedia
南禅寺は臨済宗南禅寺派大本山の寺院。
京都五山・鎌倉五山の上におかれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺のなかで最も高い格式を持つ寺院です。
建武新政期においても大徳寺とともに五山の筆頭とされた寺院で、のちに京都五山と鎌倉五山を分割する際には、その上位の別格として位置づけられました。
重要文化財の三門は南禅寺のシンボル的存在。
紅葉の名所として知られ、多くの観光客が訪れています。
住所:京都市左京区福地町86
第一位・天龍寺
出典:Wikipedia
天龍寺は臨済宗天龍寺派大本山の寺院。
足利幕府初代将軍・足利尊氏によって建立されました。
足利義満の時代に相国寺を一位、天龍寺を二位に変更されましたが、義満の死後に順位は元に戻されています。
かつては太秦周辺までの敷地を有する大寺院でしたが、度重なる規模を縮小。
現在も嵐山観光の中心として多くの観光客を集めており、世界遺産の一つにも選ばれています。
第二位・相国寺
出典:Wikipedia
相国寺は臨済宗相国寺派大本山の寺院。
足利義満によって建立されました。
義満は自身の建立した相国寺を五山に加えることを強く望み、前述のように天龍寺との順位変更を行っています。
第三位・建仁寺
出典:Wikipedia
建仁寺は臨済宗建仁寺派大本山の寺院。
開基は鎌倉幕府二代将軍・源頼家、開山は日本に臨済宗をはじめて伝えたとされる栄西。
鎌倉幕府の援助を受けた栄西が、臨済宗の京都における拠点として建立されました。
国宝の「風神雷神図」が有名。
また、方丈の石庭は枯山水庭園で「大雄苑」と呼ばれています。
第四位・東福寺
出典:Wikipedia
東福寺は臨済宗東福寺派大本山の寺院。
鎌倉時代に建立され、建武新政期の五山にも含まれていました。
明治時代の廃仏毀釈により規模が縮小されましたが、現在も多くの塔頭を有する大寺院です。
住所:京都市東山区本町15丁目
第五位・万寿寺
出典:http://blog.goo.ne.jp/hirokikurioka
万寿寺は東福寺の塔頭の一つ。
かつては現在の「万寿寺通」の周辺に位置していましたが、火災により規模を縮小し、のちに現在の地に移転しました。
現在も万寿寺の名は通りや地名に残されています。
非公開のため拝観はできません。
まとめ
今回は京都五山をご紹介しました。
数ある京都の寺院の中でも、足利幕府によって制定された五山の格を持った名刹です。